無知でゆとりなOLの奮闘記

見える世界を変えていく。

【自主性のない人間の育ち方】完璧主義になった小学校時代編

 

 

そもそもなぜ敷かれたレールに沿って育ち、世間を知らない人間になってしまったのか。。。それは私の性格と形成された生い立ちにあります。

 

先ず私の性格についてですが、私の性格の中で仕事をしていて厄介な特徴が3つあります。

 

①いわゆる完璧主義

ノートを取る際も綺麗に揃えたいし、資料も100%作成した状態でないと人に開示できないようなタイプです。※全く完璧じゃないですが

②自主性のなさ

例えばデートの時でもどこ行きたい?と言われると非常に困るのです。友達と遊びに行く時の何食べたい?も同じですね。プラス面で言い換えると人に合わせる事は、非常に得意です。

③人の感情に敏感

人からどう見られるかを気にするところからくるものです。例えば、マイナス面では、相手と話している時に表情や言葉のトーンで、敏感に感情を受け取ってしまいます。普通の人が気にならない感情にまで気を遣ってしまうので、とっても気疲れしてしまいます。プラス面では、人間観察などで実際にその人がどういう人なのか(性格的に)ある程度見抜く事が出来るので、客観的に見た意見(特に恋愛相談)を伝える事は非常に得意です。

 

 

ではなぜ、このような性格になったのかを育った環境とともにご説明します。

  

 

◎運動神経抜群・成績優秀な小学校時代(5年生まで)

産まれた時から足腰が強く、運動神経は抜群で、小学校時代はずっとリレーの選手。小学校時代の習い事と成果をまとめてみました。

 

・テニス

L小学3年生の時から始め、小学5年生の時にコーチに「ここで教えられることはもうない、プロの道に進むために○○(某有名なテニススクール)に移った方がいい」と言われ、テニスの道を進むか家族会議が開かれました。結果としては父が反対した事や、中学受験を控えていた為、テニスの道には進まず。

 

・水泳

L家のすぐ近くにスイミングスクールがあり、物心ついた頃から暇があれば通っていました。スイミングスクールには試験日定期的に設けられており、その試験に合格すると自分の級があがっていく仕組みでした。私はその試験に一度も落ちず苦労もなく数字の頂点に。小学校の水泳では女子で一番の速さでした。

 

・ピアノ

Lとりわけ上手いわけではありませんでしたが、絶対音感が身につき、音楽が全て音符にしか聞こえず悩んでいました。(今は音楽を離れて絶対音感もなくなりましたが)同時に小学校の合唱団に入っており、小1の頃から合唱団の先生に目をつけられ、いつもお手本としてクラスメイトの前で歌っておりました。全国でも超強豪の合唱団だったので、その中で選ばれていた事に少なからず自分は特別なのではと思っておりました。

 

・塾

L今でもなお中学受験の中では大手と言われている塾に小学校3年生の時から通い始めました。塾では先取りでどんどん授業が進むため、当然小学校で習うものは全て習得済み。小学校の授業は簡単でしかなく、苦労する事なく成績優秀な状態を保っておりました。塾では小学5年生の頃に偏差値85を叩き出し、どこでも合格できるなんて言われているような状態でした。。。

 

こんな感じでどこへ行くにも”優秀な子、完璧な子”と言われ続け、母にも常に人からどう見られてるか、こういうふるまいをしろと叩きこまれ、自然と完璧主義な私が形成されました。(拍手)

※私の指す完璧とは、何かしらで1番が付く事です。

 

思えば、小学校時代が一番忙しい生活を送っていました。一番の要因は中学受験の塾。学年を上がるごとに拘束時間も、授業のコマ数も増え、塾がある日は学校が終わった後による22時ぐらいまで。塾がない日は、習い事に行った後、夜0時近くまでずっと机に座らされ勉強を強いられている状況で、当時は意思のないマリオネット状態でした。。。(もちろん土日も習い事と塾で埋まってました)

 

 

◎初めての意思表示と敷かれたレールに沿って育つ洗脳

小学5年生の後期あたりから受験勉強に集中できるよう、大好きなスポーツの習い事は私の意見を聞く間もなく、辞める手続きが行われておりました。さらに追い打ちをかけるように大好きだった合唱団も、先生に辞める旨を伝えるようにとほぼ決定事項のように伝えられました。

 

そこで初めて、合唱団だけは続けさせて欲しいという自分の意思を母に伝えました。すると、今まで怒った事のなかった母が、狂ったように怒り始めたのです。初めての母の怒りっぷりにショックを受けました。そして、怒られてる理由=母の意見を聞かなかった事だと認識し、母の言う通りにしなければいけないと自然に考えるようになりました。ここからいわゆる一般的なレールから外れて人生を冒険してみるという考えが出来なくなった気がします。

 

 

そして結局、母の思う通りに習い事を全て辞め、受験塾1つで日々勉強を強いられる毎日になっていきました。

 

◎事実上の完璧の崩壊とギャップ

スポーツの習い事を全て辞めてしまった私は、運動神経が以前より悪くなっていた事を実感し始めていました。加えて、小6の段階で、中学受験=今後の人生を決めるという考え方が植え付け、もはや勉強が修行のようになっていたので、既に勉強が大っ嫌いになっていました。しばしば勉強をサボっていた事もあり、どんどん成績が下がり以前の勉強もスポーツも出来る私はいなくなっていました。

 

しかし、出来ていた事が出来なくなってしまった事を受け入れる事が出来ず、「今はベストな状態じゃないだけ。本気でやればできる」と考えるようになってしましました。この考えは今でも続いてます(泣)

 

◎受験と合格した中高一貫校への道

スポーツも勉強も継続しなければ力にならないのは周知の事。スポーツに関しては、普通と比べれば出来る方だったかもしれませんが、1番ではなくなってしまい、体力も当時の状況には戻せず。受験に関しても、小6で勉強への拒否反応が激しくなってしまい、最後まできちんと勉強をすることが出来なかったので、偏差値85までには戻れず、受験校の目標を下げ(全て母チョイスで私は行きたい学校等ありませんでしたので)偏差値55ぐらいの進学校へ進学する事になりました。

 

が、人生とは不思議なもので、成り行きで進学したこの中高こそ、私の人生で一番と言っていいほど今後の人生に影響するかけがえのない友人と思い出・経験を作る大好きな学校になっていきます^^

 

また中学・高校では更に自分の性格が固まるきっかけがあったので、またそれは次の記事で書きたいと思います。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました^^

 

P,S
ブログが高校のアメブロぶりなので、まとめる事の難しさを痛感しております。長すぎる短すぎる等あったら、意見を頂けると嬉しいです!但し全てを取り入れるかはわかりません!笑